SHIBUYA × INTERVIEW

奥野和弘さん
おもいで株式会社 代表取締役社長兼CEO/共同創業者
人の想いに、時間の壁はない
渋谷から届ける、新しい“思い出”のかたち
2025-04-22
奥野和弘さん(写真右)
大学院で宇宙物理学を学んだ後、約20年にわたってITベンダーのコンサルタントやセールスコンサルタントを担当。現在は、大手コンサルティングファームで、デジタルを活用した支援を提供。2017年、「週末起業」の形で、おもいで株式会社を設立し、代表取締役社長兼CEOに就任。2025年2月に退任し、現在はユーザーサイドから事業を支える。
荻原優希さん(写真左)
広告代理店でWebマーケティング業務を経験した後、デジタルメディアの立ち上げや運用、成長支援に携わる。現在は、デジタルマーケティングとDX推進を軸に、データの収集・変換・可視化を通じた事業成長を支援。2020年よりおもいで株式会社に外部協力スタッフとして参画し、ビジネスモデルの開発などを担当。2025年2月に代表取締役社長兼CEOに就任。
ある日、ふと届いた一通のメッセージ。それが自分の大切な人が過去に書いてくれたもので、そこに感謝や愛情の言葉がつづられていたら――。きっと、思わず笑顔になって、心がじんわり温かくなるに違いない。そんな“時をこえて想いを届ける”体験をかたちにしているのが、おもいで株式会社。本業を持つメンバーたちが「週末起業」というスタイルで、しなやかに、そして想いを込めて取り組んでいる。
時をこえて、感謝や愛情の言葉を伝えるお手伝いをしたい
おもいで株式会社の理念やサービスについてお話ください。
奥野 「明日はもっと笑顔あふれる日に」をパーパスに掲げ、“時をこえて人の想いをつなぐ”ことを目指したアプリ「OMOIDE」を提供しています。写真や動画を添えたメッセージを、未来の自分や大切な人に簡単に送れるサービスです。たとえば将来の自分に手紙を書いたり、万が一に備えて家族に言葉を残したり、恋人同士で記念日にメッセージを贈り合ったり。相手が大切な人であればあるほど、そこには感謝や愛情が込められるもの。そうした言葉が、未来の誰かを笑顔にすると信じています。だからこそ、私たちは「お預かりしたメッセージは、必ず届ける」ことに最大限の努力を尽くします。収益にはあまりこだわらず、ITの力で社会を少しでも良くしたいという思いも事業のベースにありますね。
起業までの経緯を語る創業者・奥野和弘さん
この事業のアイデアが生まれたきっかけは?
奥野 これまでもビジネスのアイデアはいろいろ浮かんではいましたが、本業が忙しくて、「もう一つ事業を立ち上げよう」という気にはなれなかったんです。でもどこかで、社会的に意味のあることをやりたいという思いはずっとあって。「おもいで」の原点になったのは、大学院時代に亡くなった祖母のことです。最後に会ったとき、窓の外をぼんやり見ながら、まるで人生を振り返っているような表情をしていて。いろいろ聞きたいことがあったのに、話しかけそびれてしまって、それが最後になりました。その後、母や叔母に聞いても、意外と詳しいことは覚えていなくて、「ああ、人の記憶ってこんなふうに薄れていくんだな」と強く感じたんです。時が経ち、自分に家族ができたある日、死ぬ夢を見て、「明日から自分は家族の物語に登場しなくなるのか」と思ったときに、祖母のときのことがふっと重なりました。それで、「ITの力をつかえば、人生の記録を残せる仕組みが作れるんじゃないか」と思ったのが、最初のきっかけでした。
「OMOIDE」は、SNSのような手軽さで写真や動画付きのメッセージを作成し、クラウドに保存できるアプリです。未来の記念日や、もしものときに、そのメッセージを家族や友人に届けることができます。「未来に届けるメッセージ」というコンセプトのもと、結婚式の思い出や旅行の記録、学校のタイムカプセルなど、さまざまな新しいサービスが生まれています。
ITを効率化だけでなく、“人間らしさ”を育む力にしたい。
起業までの経緯を教えてください。
奥野 もともとは芸大に行きたかったのですが、自分にはそこまでの才能がないなと思って断念しました。それで、宇宙が好きだった母の影響もあって、大学では宇宙物理学を専攻したんです。卒業後はIT業界に入りました。当時、ITには本当に夢があって、新しいものを作るワクワク感がありましたね。でも、次第に効率化の手段として使われるようになって、気がつけば自分も大量のメールや情報に追われる日々になっていて。そんなとき、「もっと人間らしいことのためにITを使いたいな」と思ったんです。それで思いついたのが、「おもいで」のサービスでした。起業家として活躍していた同期に話したら「めちゃくちゃ面白いね」って言ってくれて、「じゃあ一緒にやろう」と、2017年にスタートしました。とはいえ、本業があったので兼業の形をとり、外部資本は入れず、京都のお茶屋さんみたいに細く長く続く会社を目指しています。長期的に大切なメッセージを預かるので、「この会社、つぶれないかな」と不安に思われないように、株式会社にして財務もきちんと開示しています。今は「週末起業」という形で、思いを共有する仲間が7~10人ほど集まって、事業を進めています。
働く仲間は全員が、本業の傍ら「週末起業」という新しいスタイルで、「OMOIDE」の開発・運営をライフワークとして手がけているという。
現在は、BtoB事業にも力を入れていますよね。
奥野 着想の原点は、「親が子どもに、自分が亡くなった後に伝えたかった言葉を残せるように」というものでした。でも実際にやってみると、「届くのが未来すぎて、すぐには価値を実感しづらい」という課題に気づいて、そこからもっとカジュアルに使える方向に広げていきました。今は、10〜20代の若者が一番多くて、恋人同士が記念日に向けてメッセージを送ったり、友達との思い出を1年後に届けたりといった使い方が主流です。まずはそうした体験を通じて、「未来から届くメッセージってこういうことか」と、価値を実感してもらうことが大切だと考えています。そのため、事業の安定性のために課金モデルを基本にしつつ、企業スポンサーの支援によって、ユーザーにより気軽に利用してもらえる仕組みを整えています。その一環として、新代表の荻原が提案したのが、メッセージに自然に広告や情報を埋め込むモデル。たとえば「また行きたいね」の言葉と一緒に割引券が届いたら、すごく効果的な広告になりますよね。実際、メッセージの開封率は98%に達していて、企業や団体との連携も進んでいます。
仲間と同じ目標に向かって進む、その過程が何より楽しい
具体的な事例を教えていただけますか。
奥野 ある旅行関連企業では、卒業旅行の思い出をタイムカプセルのように残し、社会人になって最初の夏休みに開けてもらうという企画を展開しました。「また一緒に行こうよ」という気持ちを自然に引き出せる仕かけです。最近では、小学校の卒業アルバムにこのサービスを組み込みたいという相談もきています。そしていま、“本丸”と呼べるような取り組みにも着手しています。ある大手の医療法人さんから、「がんなどで余命宣告を受けた方が、このサービスを使えるようにしたい」というご依頼をいただき、QOLへの影響も含めて、開発を進めているところです。一方で、海外からのインバウンド向けサービスも準備中で、「京都の和紙に印刷されたメッセージを届ける」といった、フィジカルな体験とデジタルを組み合わせた展開も検討しています。
2025年2月に代表取締役社長兼CEOに就任した荻原優希さん
荻原さんが参加された経緯は?
荻原 もともと奥野とはお店で出会った飲み仲間で(笑)。他のメンバーも、大体、そんな感じのつながりです。事業が始まる頃、お酒の席でビジョンを聞いて、「それ、面白そうですね」って軽く話したのを覚えてます。その後、「利用者がなかなか伸びない」といった話もあって、自分にできることを考えたんですよね。そこでBtoB事業の提案をして、2020年くらいから本格的に関わるようになりました。もともと本業だけでは、どうしても仕事仲間くらいしか関われなくなって、世界が狭くなるという感覚もあって。いまは、同じような思いを持つ仲間と目標を共有しながら、「ああでもない、こうでもない」と言い合いながら進めています。その過程そのものが楽しくて、「結果的に少しでもお金になったらラッキー」くらいの気持ちですが、それくらいのスタンスがちょうどいいと思ってます。
渋谷は新しい文化や習慣を発信するのにぴったりの街
渋谷に拠点を構えている良さをどう感じていますか。
奥野 最初から「渋谷にしよう」と強く決めていたわけではないんです。でも、いま思えばやっぱり渋谷って、海外の人にもすごく知られていて、カルチャーの発信地というイメージがあるんですよね。常に新しいものが生まれている街というか。僕らのサービスも、ただの機能提供じゃなくて、「未来に向けてメッセージを書く」っていう、新しい文化や習慣を根づかせたいという想いがあるので、そういうカルチャー的な価値と、渋谷の雰囲気ってすごく相性がいいなと感じています。当社のサービスには、二次元コードを読み取ると、メッセージを送れる仕組みもあるため、渋谷中の飲食店に置いてもらって、そこから“思い出”を送るというのも面白いかもしれません。ほかには、行政主催の「〇周年」といったイベントで、集まった皆さんが次の節目に向けてメッセージを残すといった使い方もできると思います。
渋谷のんべい横丁。「酒場など人と人が交差し、さまざまな出会いが生まれる街」(荻原さん)――それが渋谷の魅力だという。
荻原 私は長野県の出身なのですが、大学で上京して、遊んだり学んだりしていく中で、渋谷はすごく心をひかれる街でした。学生時代は「のんべい横丁」あたりに入り浸っていて、まだ再開発前の富士屋本店など、いろんな酒場を探して歩いてましたね。そうやって過ごすうちに、古くから渋谷にいる人たちとも自然と仲良くなっていって。ちょうどその頃から、だんだん外国人観光客も増えてきて、「いろんな人と出会える場所なんだな」と実感するようになりました。渋谷って、破壊と創造が繰り返され、その中で人と人が交差する街なんですよね。そういう渋谷の魅力は、私にとってすごく大きいと思っています。いま私たちが展開しているサービスも、そうやって一期一会の出会いを生むようなツールになったら面白いなと思ってるんです。
奥野さんからOMOIDEを引き継ぎ、今後の展望を語る荻原さん
最後の今後の事業への思いをお聞かせください。
奥野 最初にメンバーを誘ったとき、「大金持ちにはならないかもしれないけど、死ぬときに“いいサービス作ったな”って思えるものを一緒に作ろうぜ」って声をかけたんですよね。AppleがiPhoneを出したときみたいに、気づいたら当たり前になってるけど、よく考えたら新しい習慣だった――そんなイノベーションを、自分たちでも生み出せたらって思っていて。それを一緒に形にしたメンバーが、「あれに自分も関われたんだ」って、心から誇れるようなサービスにしたいなって思ってます。本業との兼ね合いにより、代表取締役CEOは荻原に譲りますが、もちろん今後もこれまでと変わりなく深く関わっていきます。
荻原 やっぱり、「一緒にやりたい」と思える仲間と、未来に向けたミッションを共有しながら関係を続けられること自体が、すごく面白いんですよね。こういうプロジェクトがなかったら、昔よく顔を合わせてた人たちとも、今はもう会う機会がなかったかもしれない。本業とは別の場所で、新しいことを一緒に考えて、語って、笑い合える。そんな仲間たちと、これからもこのサービスを少しずつ進化させていきたいと思っています。
オフィスを構える原宿の街で
取材・執筆:二宮良太 / 撮影:松葉理