SHIBUYA × WATCH
2025年、道玄坂・宮益坂沿いではラーメン店の新規出店が相次いだ。宮益坂には和牛ラーメンや油そば、京都系、鴨だし、関西発の名店まで多彩な店舗がそろい、道玄坂でも個性豊かなラーメン店が次々と暖簾を掲げている。背景には、インバウンド需要の高まりを見据えた出店ラッシュがあるのだろう。 しかし、渋谷文化では、こうした現象を単なる流行として捉えるのではなく、「道玄坂・宮益坂」と「麺」との関係を、あえて別の視点から考えてみたい。これは一過性の偶然なのか。それとも、渋谷という街が歴史の中で引き寄せてきた「麺の記憶」の延長線上にある出来事なのだろうか――。
大山街道(道玄坂・宮益坂)の麺マップ
赤=2025年に開業した新規ラーメン店(9店舗) 青=既存ラーメン店(29店舗) オレンジ=2025年に開業した新規そば・うどん店(2店舗) 緑=既存そば・うどん店(7店舗)
旅人を迎えた坂と、そばのある風景
江戸時代、渋谷の道玄坂と宮益坂は「大山街道(矢倉沢往還)」として街の中心的な役割を担っていた。江戸から相模国・大山へ向かう「大山詣」が庶民の間に広がると、特に夏場には白衣姿の参詣者が往来し、周辺は休憩地として急速ににぎわいを見せるようになる。坂の中ほどに鎮座する宮益御嶽神社は、山岳信仰を背景に持つ神社で、大山へ向かう人々が道中の安全を祈願する拠点の一つだった。宮益坂の両脇には、旅の疲れを癒す茶屋が100軒以上も立ち並んでいたとされ、手早く食べられるそばが参詣者の空腹を満たしていたに違いない。また、石段を上がった境内からは富士山や大山を遠望できたといい、当時の宮益坂は「富士見坂」とも呼ばれていた。坂を行き交う人々の信仰と、その足元を支えた食。渋谷の街では、坂と信仰、そして麺文化が、古くから切り離せない関係を築いてきたのである。


左=宮益坂の中腹に位置する「宮益御嶽神社」 右=急な石段を上ると、高台に境内がある。現在は高い建物に囲まれているため、西側にそびえる山々を望むことはできないが、かつては大山や富士山がよく見えたという
水の街・渋谷と製粉の記憶
渋谷は「谷の街」であり、かつては「水の街」でもあった。渋谷川や宇田川など複数の水路が集まり、生活用水や物流に利用されるだけでなく、水車による精米や製粉も行われていた。そば粉を挽き、清らかな水で麺を打つ――そんな光景が街道沿いの日常に溶け込んでいたとしても、不思議ではない。
葛飾北斎 冨嶽三十六景 穏田の水車, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
葛飾北斎の《冨嶽三十六景・穏田乃水車》には、現在のキャットストリート(渋谷川の暗渠を利用して整備された遊歩道)周辺とされる風景が描かれている。富士山を背景に水田が広がり、水車によって精米や製粉が行われている様子からは、渋谷が水とともに営まれてきた土地であったことがうかがえる。現在、渋谷川の多くは暗渠化され、実際に水の流れを目にできる場所は限られている。それでも、宮下公園やキャットストリートの地下を流れる水は、かつて「水車の街」であった渋谷の記憶を、静かに今へと伝えている。

宮益坂下には渋谷川が流れ、そこに富士見橋(宮益橋)が架かり、水車もあったという。 現在、MIYASHIYA PARKに向かう入口は、暗渠化した渋谷川を整備した遊歩道となっている。穏やかな曲線が、何となく川の名残を感じさせる
2025年、再び集う“麺の磁力”
こうした歴史の延長線上に「2025年の動きがある」と言い切るのは、やや大袈裟かもしれない。ただ、古くから人の往来が多く、街の中心としてにぎわってきた道玄坂・宮益坂(大山街道)に出店したいと考える飲食店が多いのは、今も昔も変わらぬ事実だろう。

宮益坂上近くにオープンした関西の人気店「どうとんぼり神座 プレミスト」
2025年、宮益坂では「どうとんぼり神座 プレミスト」(3月10日)、「京都北白川ラーメン魁力屋」(3月31日)、「和牛らーめん 極」(4月24日)、「らーめん 鴨to葱」(5月11日)、「元祖油堂 油そば」(10月23日)と、系統の異なるラーメン店が相次いで開業した。

宮益坂ビルディング ザ・渋谷レジデンスの1階路面には、「魁力屋」「鴨to葱」「油そば」の3店舗が新たに出店し、通りの表情は、ラーメンロードとしての色合いを強めている
道玄坂でも「麺処まろ」(2月13日)、「AFURI」(4月25日)、「スタミナラーメン鬼山」(6月26日)と、個性の際立つ店が次々と出店している。また数は多くないものの、そば店では道玄坂下に「本家しぶそば」(9月14日)、うどん店では道玄坂上に「肉うどん 肉めし 甚三」(4月3日)がそれぞれオープンし、大山街道沿いの麺文化は一段と厚みを増しつつある。


ラーメン店のほか、道玄坂下に「本家しぶそば」(左)、道玄坂上のアパホテル南館1階に「肉うどん 肉めし 甚三」(右)が新規出店し、同エリアの麺の選択肢を広げている
一方で、コロナ禍以降の家賃の高止まりを考えれば、駅近の道玄坂・宮益坂への出店は、経営者にとって決して容易ではない。ある意味では、道玄坂・宮益坂沿いで出店が急増していること自体が、路面の一等地に空き店舗が多数生じている状況を示しているともいえる。実際、今回の出店動向を見ると、個人店よりもチェーン店や、他エリアですでに実績を積んだ店舗が多く、「次の一手」として渋谷中心部への出店に踏み切っているケースが多いのではないだろうか。

道玄坂坂上には、炙り味噌らーめんの「麺匠真武咲弥」、つけ麺の「道玄坂マンモス」、クリアな淡麗系らーめんで名高い「AFURI」、昆布水つけ麺で人気の「SAJI.」など、個性派ぞろいの人気店が並ぶ
なかでも象徴的なのが、昨年4月に道玄坂上に開業した「AFURI 渋谷道玄坂」だ。AFURIの原点は、2001年に大山の麓で開いた総本店「ZUND-BAR」にある。2003年には、東京1号店として「AFURI 恵比寿」をオープン。清らかな湧水を仕込み水に用いた澄んだスープと素材へのこだわりで支持を広げ、現在は東京・横浜を中心に店舗を展開している。


左=2025年4月、道玄坂上にオープンした「AFURI渋谷道玄坂」の入口付近 右=看板メニュー「柚子塩らーめん」。澄んだ黄金色のスープが特徴
店名は、大山の別名である「阿夫利山(あふりやま)」に由来する。阿夫利山は、古くは「雨降山」とも呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣の信仰を集めてきた神の山として知られる。一方、渋谷・道玄坂は、江戸時代に大山詣での人々が行き交った街道の起点の一つとして栄えてきた場所だ。阿夫利山の水を原点に持つブランドが、かつて参詣者でにぎわった道玄坂に店を構えたことは、単なる繁華街への出店にとどまらず、渋谷と大山を結ぶ歴史的な文脈を想起させる。実際のところ、出店の意図は定かではないが、こうした背景を重ね合わせることで、一連の物語として読み取ることもできる。

こうして道玄坂・宮益坂は、再び“麺の集積地”としての輪郭を強めている。江戸の旅人が、そばで身体を整えて山へ向かったように、現代の渋谷でも、仕事の合間の腹ごしらえや深夜の締めの一杯、さらには訪日外国人の舌を魅了する存在として、ラーメンをはじめとする麺類が人々にエネルギーと満足感を与えているのだろう。大山街道のにぎわいは、形を変えながらも、今なお湯気とともに立ち上っている。








