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「渋谷の守り神」モヤイ像に秘められた歴史と愛される理由
渋谷駅西口

「渋谷の守り神」モヤイ像に秘められた歴史と愛される理由

渋谷駅前のシンボルといえば「忠犬ハチ公像」だが、その陰に隠れがちな「モヤイ像」も忘れてはならない。かつては混雑するハチ公前広場を避け、西口のモヤイ像前を待ち合わせ場所として利用する人も多く見られた。ハチ公が「渋谷のアイドル」であるとするならば、モヤイ像は「渋谷の守り神」と言える存在であり、その姿にはどこかエキゾチックな神秘性が漂う。現在、東急東横店西館・南館の解体工事が進み、渋谷駅西口には大きな仮囲いが設置されている。そのため、「モヤイ像はどこへ行った?」とその行方を心配する声も少なくない。そこで本記事では、渋谷モヤイ像の設置経緯や文化的な背景、さらには渋谷再開発に伴う新たな展開について紹介していきたいと思う。

モヤイ像設置の理由と文化的背景

さて、モヤイ像はいつ、どんな目的で渋谷駅に設置されたのだろうか? 亡き主人の帰りを待つ健気なハチのエピソードは「ハチ公物語」として世界中の人々が知っているが、「モヤイ像の物語」を知る人はほとんどいないのではないか。改めて、その経緯を見ていこう。

渋谷に設置されたモヤイ像は、伊豆諸島・新島の観光振興や文化発信を目的として、1980年(昭和55年)に新島村から渋谷区へ寄贈されたものである。これは新島との友好関係を深めると同時に観光PRを図るための取り組みであり、当時、渋谷や蒲田をはじめとするいくつかの都市 が設置場所として選ばれた。

渋谷駅前モヤイ像設置風景(1980年9月25日) 画像提供=渋谷区

設置時に掲出された石碑。新島村から渋谷に寄贈されたモヤイ像への想いが綴られている。

モヤイ像の制作は、1960年代後半、新島出身の彫刻家である大後友市(だいご・ゆういち)氏が島おこしの一環として始めたものである。素材には新島特産の火山岩「コーガ石(抗火石)」が使用され、「流人(るにん)のインジー」をモチーフに彫刻が施された。「流人」とは、社会から隔離する刑罰として島に送られた人々を指す。新島は江戸時代から明治初期にかけて流刑地として利用されており、その歴史が背景にある。流人の中には、読み書きや学問を島民に教えたり交流したりした高い身分の者もおり、島民から「インジー(島の方言で“おじいさん”)」と呼ばれ尊敬されていた。モヤイ像は、イースター島のモアイ像を思わせる形状とネーミングを持ちながらも、新島独自の「尊敬される流人インジー」という文化的要素が反映された作品である。

さらに、「モアイ」ではなく「モヤイ」という名称は、新島の方言で「力を合わせる」「助け合う」という意味を持つ。厳しい自然環境に囲まれた新島で、島民が協力し合い生活してきた連帯感を象徴しており、その精神が「モヤイ」という言葉に込められている。したがって、モヤイ像は単なるイースター島の石像の模倣ではなく、新島の歴史と精神を体現するシンボルといえる。

待ち合わせスポットから企業PRの場へ―モヤイ像が愛される理由

私たちが見慣れている渋谷のモヤイ像は灰色がかった姿であるが、設置当初の写真を見ると、驚くほど色白であることが分かる。汚れていないコーガ石は、白く美しい天然石である。

設置当初の「モヤイ像」(昭和50年代) 画像提供=渋谷区

公開当時の写真には、「新島モヤイ像 渋谷の新しい顔アンキとインジー」と書かれた看板が設置されている。「アンキ(=若者)」は像の正面にあたる顔で、長髪の若いサーファーを模したデザインだ。これは、新島でサーフィンを楽しむ若者をイメージしたものと考えられる。

島民から尊敬された「流人のインジー」

一方、「インジー」は像の裏面にある顔で、前述の「流人」を表している。若者文化が集う渋谷という土地柄を意識したのか、このモヤイ像は正面と裏面で異なる二つの顔を持つという、非常にユニークなデザインとなっている。

ルパン三世の犯行声明と共に「モヤイ像」が姿を消す (撮影=2009年12月7日)

2009年(平成21年)12月、新島観光協会などの協力のもと、汚れたモヤイ像を新島に運び、洗浄作業が行われた。その際、モヤイ像が一時的に不在となることを利用し、アニメキャラクター「怪盗ルパン三世」が「モヤイはいただいた」という犯行声明を残し、モヤイ像が消えるというストーリー仕立てのPRプロモーションが展開された。

真っ白にきれいになって戻って来た「モヤイ像」 (撮影=2009年12月21日)

この仕掛けは大きな話題を呼び、約2週間後のクリスマス前、ルパンから「素敵なクリスマスプレゼント」というメッセージとともに、洗浄されて真っ白になったモヤイ像が戻され、多くの注目を集めた。

モヤイ像を囲む円形花壇の柵に座って休憩したり、人との待ち合わせをする人々の姿 (撮影=2012年)

モヤイ像は設置当初から忠犬ハチ公像と並び、西口側の待ち合わせスポットとして定着していった。当時は携帯電話やスマートフォンが普及しておらず、「〇時〇分にハチ公前で待ち合わせ」と決めても、人混みの中で友人に会えないことも多かった。こうした背景から、比較的混雑の少ない「第二の待ち合わせ場所」としてモヤイ像の存在感は高まり、次第に渋谷を訪れる人々に愛されるようになった。

左=「トヨタカップ2005年」PRプロモーション(2005年12月) 右=ネスレ日本の缶コーヒーPRプロモーション(2008年4月) 画像提供=シブヤ経済新聞

また、かつては企業のPRプロモーションにも頻繁に活用された。たとえば、ネスレ日本がモヤイ像に缶コーヒーを持たせたり、「トヨタカップ」のPRではサッカーボールを付けたヘアスタイルに変身させたり、「モッズ・ヘア」のPRではドレッドヘアに仕立てたりと、さまざまな仮装を通じて注目を集めた。こうしたユニークな演出により、モヤイ像は渋谷の情報発信拠点の一つとしても注目されたのである。

渋谷再開発がもたらす変化と新たな展開

しかし近年、モヤイ像を取り巻く環境は変化している。モヤイ像の横に喫煙所が設置されたり、東急東横店西館・南館の閉館に伴いハチ公広場から西口への通路が閉鎖されたりと、待ち合わせスポットとしての利便性は徐々に失われた。モヤイ像自身も居心地の悪さをきっと感じていたことだろう。

屋外コインロッカーのあった場所に喫煙所設置(撮影=2020年3月)

設置から44年間、渋谷の人々に愛されてきたモヤイ像であるが、現在はどうしているのだろうか。東急東横店西館・南館の解体工事が進み、モヤイ像があった場所も工事エリアの仮囲い内に含まれている。工事現場の上から眺めても、モヤイ像の姿は見当たらない。一体どこへ行ったのだろうか。

現在、渋谷駅西口は再開発工事に伴い、大きな仮囲いが設置されている (撮影=2024年11月)

実は2024年11月29日、モヤイ像は新たな場所へ移設された。その場所は同じく西口エリアで、道路を挟んだ向かい側にある「渋谷フクラス」裏手のスペースだ。安全や交通面の妨げを考慮し、移設作業が11月28・29日の深夜2日間をかけて行われた。その模様は、「モヤイ像移設の舞台裏」レポートで詳しく紹介したいと思う。

「モヤイ像」特集企画:移設レポート
取材・執筆

編集部・フジイ タカシ

渋谷の記録係。渋谷のカルチャー情報のほか、旬のニュースや話題、日々感じる事を書き綴っていきます。