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【渋谷風景録Vol.2】盲学者・塙保己一の遺業を守り続ける「温故学会会館」
温故学会会館(塙保己一史料館)

【渋谷風景録Vol.2】盲学者・塙保己一の遺業を守り続ける「温故学会会館」

「変わり続ける街」と言われる渋谷。その街を形づくっているのは、新しく生まれる風景だけではない。長年親しまれてきた建築や雑居ビル、坂道、看板、路地裏――。そこには、人々の記憶や営み、渋谷らしいカルチャーが積み重なっている。「渋谷風景録(しぶやふうけいろく)」では、再開発の中で移り変わる街の姿とともに、今もなお残り続ける風景にも目を向けながら、渋谷の文化的風景を記録していく。

建築データ
  • 建物名:温故学会会館(塙保己一史料館)
  • 所在地:渋谷区東2-9-1
  • 竣工年:1927年
  • 設計:清水組(現・清水建設)
  • 施工:清水組(現・清水建設)
  • 構造形式:鉄筋コンクリート造2階建(一部3階建て)
  • 建築面積:187㎡
  • その他:登録有形文化財(建造物)

 

今回の風景録は「温故学会会館」。恵比寿駅と渋谷駅の間、國學院大學や氷川神社に隣接する閑静な高台の住宅街に建つ。江戸時代の盲学者・塙保己一が編纂(へんさん)した「群書類従」などの版木を守り、その遺志を後世へ伝えるために建てられた建物だ。

左=正面入口の門柱には「温故学会」の文字が刻まれている 右=玄関口の左手では、塙保己一の銅像が出迎える

塙保己一の曾孫・塙忠雄や渋沢栄一らを発起人として、各界の有志に協力を呼びかけ、全国からの寄付を得て建設が進められた。1926(大正15)年8月に着工し、翌1927(昭和2)年3月に竣工。関東大震災からの復興が進む中で完成した。

設計・施工は清水組(現・清水建設)。貴重な版木を地震や火災から守るため、鉄筋コンクリート造を採用し、耐震・耐火性能を重視した堅牢な建築として建設された。

中央の玄関及び階段を軸とし、左右対称に扇型に開く建物

外観は翼を広げたような左右対称の構成で、窓を最小限に抑えた重厚な造りが特徴だ。版木を保管する収蔵庫としての機能を優先し、正面と背面には主壁を支えるバットレス(控え壁)が並ぶ。建物を堅固に補強する役割を果たすとともに、外観に独特のリズムを生み出している。

開口部の広い玄関ポーチ

一方で、中央には円形の玄関ポーチが張り出し、無骨な収蔵施設の中にも昭和初期のモダン建築らしい意匠を見ることができる。

左=入口を入ると正面には、傾斜角度が急な階段が伸びる 右=手すりは手触りの良い木製で、鉄筋コンクリート造の建物にぬくもりを添える

建物の内部に足を踏み入れると、正面に見える緩やかな曲線を描く階段の手すりが目を引く。

コンクリートの階段、鉄製の支柱、木製の手すりが絶妙なバランスで調和する。「この先はどうなっているのか」と想像をかき立てる、先の読めない手すりの曲線も印象的だ

玄関から向かって左側は1階が事務室、2階が講堂として使われ、右側の1・2階は版木収蔵庫となっている(一般公開は1階のみ)。この収蔵庫こそが、温故学会会館が守り続けてきた最大の財産である。

塙保己一は1746(延享3)年、現在の埼玉県本庄市に生まれた。7歳で失明したが学問への志を失わず、江戸で研鑽を積み、日本を代表する国学者となった。

34歳の時に着手した「群書類従」は、日本各地に散在していた貴重な古典籍を収集・校訂し、後世に残すために刊行した一大叢(そう)書として知られる。

1階右手にある「版木収蔵庫」。1、2階にある収蔵庫では200年前の版木約1万7000枚が大切に保管されている

収録された文献は1270点以上。神道、歴史、文学、日記、和歌など25部門に分類され、日本文化の基礎資料ともいえる膨大な知の集積がまとめられた。

左=版木は文字を左右逆(鏡文字)にして、一つひとつ彫刻刀で彫り上げられている 右=版木で刷った美しい文字

その印刷に使われた版木は約1万7000枚。すべて桜材で作られ、現在も館内の収蔵庫で大切に保管されている。版木群は1957(昭和32)年に国の重要文化財(美術工芸品・歴史資料)に指定された。また、それらを守り続けてきた温故学会会館も、2000(平成12)年に国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。

実は、この版木群は幾度となく災禍を乗り越えてきた。

1923(大正12)年の関東大震災では、当時保管されていた倉庫が倒壊。その後、現在の会館へ移されたが、1945(昭和20)年の東京大空襲では周辺一帯が焼失した。会館にも焼夷弾が飛び込んだものの、当時の会長・斎藤茂三郎が館外へ投げ出し、建物と版木は奇跡的に焼失を免れたという。

温故学会では当時の版木を使って印刷・製本し、冊子を販売している

現在まで約200年にわたって刷り続けられてきた「群書類従」は70万冊以上が刊行され、国内外の研究機関や大学で利用されている。その功績は、日本の古典文化を現代へ伝える基盤を築いたと言っても過言ではない。

「講堂」として活用されている2階の和室(通常は非公開)

さらに2階には、意外にも和室が設けられている。近代的な鉄筋コンクリート建築の中に和の空間を取り入れた構成は珍しく、建設当初の建具や天井、床の仕上げなども現在まで大切に残されている。この和室は講堂として、学会の会合や講演会、式典などに利用されてきた。

同学会の初代理事長を務めた渋沢栄一による「温故而知新」の書

室内には、渋沢栄一の雅号「青淵」による「温故而知新」の書が掲げられている。温故学会の名称は『論語』の一節「古きをたずねて新しきを知る」に由来する。これは、会館完成の年に88歳(米寿)を迎えた渋沢が揮毫(きごう)したもので、学会の理念を象徴する存在となっている。

また、この場所にはもう一つの歴史的エピソードが残されている。

ヘレン・ケラーが訪れた際に、手を触れて涙を流したと言われる「塙保己一の銅像」

1937(昭和12)年、アメリカの教育家で社会福祉活動家のヘレン・ケラーが温故学会を訪問した。幼い頃から母親に「塙保己一を手本にしなさい」と教えられて育ったというヘレンは、保己一の像や愛用の机に触れながら、その偉業に深い敬意を表したという。

「先生の像に触れることができたことは、日本訪問で最も有意義なことです」

そう語ったと伝えられている。

渋谷の高台に静かに佇む温故学会会館。その外観は決して華やかではない。しかし内部には、日本文化を支える膨大な知の遺産と、それを守り続けてきた人々の思いが息づいている。

再開発によって風景が大きく変わり続ける渋谷にあって、この建物は「古きを守ることが未来につながる」というメッセージを今も静かに語り続けている。

取材・執筆:フジイタカシ / 撮影:松葉理
※写真は2026年5月23日、「東京建築祭2026」の特別公開時に撮影

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