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【渋谷さんぽ】渋谷の坂上風景─再開発前の“渋谷二丁目西エリア”を歩く
渋谷二丁目

【渋谷さんぽ】渋谷の坂上風景─再開発前の“渋谷二丁目西エリア”を歩く

先日、スカイウェイやハチ公広場を含む渋谷駅の再開発事業が、2034年度に完了予定であることが発表された。しかし、再開発が進むのは駅周辺だけではない。街全体の老朽化が進むなか、その波は渋谷の外縁部にも徐々に広がりつつある。

渋谷駅再開発の全体像については、以下の関連記事をご覧ください。

そうした動きのひとつが、「渋谷二丁目西地区第一種市街地再開発事業」である。宮益坂上から六本木通りにかけて展開され、敷地面積は約18,800平方メートルにおよぶ大規模な計画だ。またひとつ、渋谷の風景が大きく塗り替えられる。

渋谷二丁目西地区の再開発は 「A街区」「B街区」「C街区」の3エリアにおよぶ。「都市再生特別地区(渋谷二丁目西地区)都市計画(素案)の概要」より

いよいよ本格的な解体工事が間もなく始まり、かつてこの地にあった建物や、そこに息づいていた人びとの営みも、静かに姿を消していく。宮益坂上のガソリンスタンド、青山通り沿いに立つ旧・渋谷金王町団地の記憶を宿す「岡崎ビル」、おとぎの国を思わせる佇まいで女性からの人気も高かったプチホテル「サクラ・フルール青山」、1968年開校の「長沼静きもの学院渋谷校」──。それぞれが、この街の歴史の一部を刻んできた。

今回は、再開発を控えた渋谷二丁目西エリアを歩きながら、街が記憶してきた風景と空気をレポートする。

変わりゆく坂の記憶─宮益坂上から見る風景

渋谷駅東口から宮益坂を上り始めると、街の喧騒が次第に遠ざかり、落ち着いた空気が漂い始める。この坂道は、江戸時代には「大山街道」と呼ばれ、山岳信仰の対象である大山(現在の神奈川県伊勢原市や秦野市に所在)への参拝路として賑わった。

宮益坂の中腹、渋谷区商工会館2階屋上に「宮益御嶽神社」の社殿がある

宮益坂上から渋谷駅・道玄坂方面を眺めた街の風景

また、坂の上から道玄坂方面を望むと、見事な富士山が眺められたことから「富士見坂」とも呼ばれた。俳人・松尾芭蕉もその美しい景観に心を打たれ、「眼にかかる 時や殊更 さ月不二(目にかかる時やことさら五月富士)」という句を詠んでいる。その句碑は、今も宮益御嶽神社の境内に静かに佇んでいる。

金王坂(国道246号線)から見た「ENEOSガソリンスタンド」。タクシーの奥にスタンドがあった(撮影=2024年4月)

宮益坂を上りきった交差点の一角に、渋谷二丁目西地区再開発事業のA地区となる「旧ENEOSガソリンスタンド」がある。かつてこの交差点の向かい側にはもう一つ、「仁丹ビル」(現在の徳真会クオーツタワー)が存在していたことを覚えている人も多いだろう。このガソリンスタンドは、もともと平屋建ての「日本石油渋谷給油所」であったが、1988年に12階建ての「日石渋谷ビル」(現在のDaiwa渋谷宮益坂ビル)へと建て替えられ、その1階部分でガソリンスタンドの営業を長く続けてきた。

宮益坂上の交差点(撮影=2024年4月)。中央建物は「Daiwa渋谷宮益坂ビル」

このガソリンスタンドは、単なる給油所ではない。そびえ立つ同ビルは港区方面からの視認性が高く、青山通りから「金王坂(国道246号)」方面、「宮益坂」方面、「宮下公園」方面へと向かうドライバーにとっては分岐となる交通の要所、ランドマークとしての機能を果たしてきた。車と人の流れが交錯する、そんな宮益坂の頂に広がっていた見慣れた角地が、再開発により姿を変える。ちなみにガソリンスタンドの営業は、ひと足早く2024年9月13日に終了している。

A街区には高さ50メートル、地下1階地上5階建ての店舗などが入る新ランドマーク(約4200平方メートル)が誕生する。青山から渋谷方面に開けた立地を生かし、傾斜した階段状の「上空広場」を持つユニークな施設で、公開空地として地域に開放するほか、様々なイベント活用も想定する。かなり個性的なデザインで、宮益坂上の新たなシンボル、賑わい創出の中心にしていくという。

団地の名残を感じさせる“岡崎ビル”の風格

渋谷駅方面から金王坂(国道246号)を上っていくと、渋谷クロスタワーを過ぎた右手に、年季の入った「岡崎ビル」が姿を現す。この建物は、1961年(昭和36年)に竣工した「日本住宅公団(現・UR都市機構)渋谷金王町団地」で、その後、町名変更に伴い「公団渋谷2丁目住宅」と名称が変わった。
 

築64年、かつて団地として人々の暮らしを支えた建物

各窓の上部にコンクリート製の庇が反復的に設けられ、水平ラインを強調。機能性と合理性を持つデザインは、戦後の高度経済成長期に建てられた集合住宅に共通する特徴であり、モダニズム建築の影響を色濃く感じさせる

建物の特徴は、地下1階~3階に店舗が並び、その上に住居が重なる「下駄履きアパート」と呼ばれる構造。いわゆる「下駄の歯」のような形状で店舗が並んでいるため、かつてはそう呼ばれていたが、昨今では「複合ビル」と言ったほうが分かりやすいだろう。一見すると平凡な外観だが、どこかレトロモダンな趣がある。

現在、地下1~3階の低層階では店舗が営業を続けている。

近年では、中・上層階の住居部分をリノベーションし、オフィスやギャラリーとして再活用。「岡崎ビル」という名称で新たな役割を担ってきたが、団地時代の名残を色濃くとどめる佇まいは健在である。建物の上部には、今も「公団渋谷2丁目住宅」の文字が残され、“変わりゆく渋谷”の歴史を静かに物語っている。

金王坂を下った先には、グーグルが入居する「渋谷ストリーム」、道路を挟んだ反対側は昨年開業したばかりの「渋谷アクシュ」が並び、周辺の再開発も徐々に進んでいる。

再開発により、「B地区」に相当するこのビルもまもなく取り壊され、新たな高層複合施設へと姿を変える予定だ。この場所に刻まれた“かつての住まいの記憶”を、都市の歴史のひとコマとして心に留めておきたい。

“宿泊”という記憶─異国情緒あふれるプチホテル

金王坂(国道246号線)沿いに立つ「岡崎ビル」の隣で、ひときわ目を引くのが、まるでおとぎの国を思わせるような外観のプチホテル「サクラ・フルール青山」である。女性を中心に高い人気を誇るこのホテルは、1980年(昭和55年)に竣工したビジネスホテル(大幸第二ビル)を全面改装し、2004年12月、「女性一人でも安心して泊まれるホテルを」という想いのもとにオープンした。

1980年に開業したプチホテル「サクラ・フルール青山」

ヨーロッパ風の外観に加え、アンティーク調の家具やシャンデリアで統一されたクラシックな客室やロビーが特徴。異国情緒あふれる非日常的な雰囲気も手伝い、オープン当初からファッション誌の撮影をはじめ、「映える部屋」として評判を呼び、女性人気の高いホテルとして注目を集めてきた。このホテルも、再開発の対象である。

左=金王坂(国道246号線)沿いに並ぶ、現在の「B地区」(左から「あいおいニッセイ同和損保渋谷ビル」「渋谷SSビル」「第二叶ビル」「サクラ・フルール青山(大幸第二ビル)」「岡崎ビル」) 右=将来のイメージパ―ス。中央にそびえる高さ約208メートル、41階建ての高層ビルが、B地区に建設される。ホテルや店舗、オフィスのほか、バスターミナル、人材育成拠点などができるという。

“和”文化を次世代へとつなぐ拠点

渋谷という都市の喧騒のなかにあって、“和”の心を静かに伝え続けてきた場所がある。それが「長沼静きもの学院 渋谷校」だ。1968(昭和43)年、横浜校に続いて渋谷校を開校し、以来、着物の着付けを専門とする教育を行ってきた。1973(昭和48)年には本社機能を横浜市から渋谷に移し、2014(平成26)年には新たな本社ビルが完成するなど、長年にわたり渋谷の地で日本の伝統文化を次世代へと受け継いできた。

「長沼静きもの学院」があるNAGANUMAビル。独創的な建築デザインは石本建築事務所による設計

最先端のトレンドを発信し続ける渋谷と、古くからの日本文化を体現する着物。一見ミスマッチにも思えるこの組み合わせだが、着物文化が世界へと広がるなかで、多様性を掲げる渋谷は、年齢や国籍を問わず人々が集う場として、むしろ理想的な場所といえるだろう。この場所はまさに、渋谷における「和の交流拠点」となっていた。

現在、再開発工事に伴い、本社機能は近隣のビルへ移転しているが、おそらく開発完了後には、新たな施設へ戻ってくるのではないだろうか。建物そのものは姿を消しても、そこに息づいてきた和の文化は、これからも決して失われることはないだろう。

現在、解体工事が進むのは「みずほ銀行渋谷事務センター」(撮影=2025年6月30日)

「長沼静きもの学院」の向かい側では、巨大な仮囲いが設置され、既に解体工事が始まっている。その建物は「みずほ銀行渋谷事務センター (旧第一勧業銀行東京事務センター)」だ。もともと同地は、青山学院短期大学の学生寮「シオン第一寮」と「シオン第二寮」があった場所である。学生数の増加に伴い、1966(昭和41)年にシオン寮は渋谷区猿楽町へと移転し、その跡地に銀行の事務センターが建った。ちなみに代官山へ移転した「シオン寮(猿楽町)」は、青山学院短期大学の廃止に伴い、2020年3月をもって閉寮となった。短大や女子大の廃止も時代の流れの一つといえる。

営業を続ける「串カツ田中 渋谷宮益坂店」はB地区。店舗沿いの道路はもともと区道であったが、2023年11月30日に廃止され、現在は再開発組合が維持管理する

「東建インターナショナルビル」はC地区。同所には、高さ約175メートル、41階建ての「高層マンション」が建設される

再開発で何が変わり、何が残るのか

今回の散策で見えてきたのは、再開発を前にした街の「静かな最期」であった。ガソリンスタンドやホテル、学校など──いずれも都市機能の一部であると同時に、街の個性や物語を宿す存在でもあった。歩を進めるごとに、渋谷が育んできた“風景の記憶”が確かにそこに存在していたことを実感する。渋谷二丁目西地区の再開発事業は、老朽化した建物の更新と都市機能の再編を目的として進められている。高速バス・空港バスなどのバスターミナルの整備のほか、オフィスや商業施設、人材育成拠点、住宅などを一体化させた複合ビルの建設が計画されており、大規模な広場や歩行者ネットワーク、災害時支援機能の整備も予定されている。将来的には、宮益坂上と青山通りの接点が、よりシームレスで魅力的な都市空間へと生まれ変わることだろう。

一方で、この地域に長く親しんできた人々にとっては、見慣れた風景が失われることに寂しさを覚えるのも事実だ。都市の再編は常に、“創造”と“喪失”の両面を伴う。そこでは、何を残し、何を手放すのかという選択が求められる。再開発によってもたらされる新たな利便性や美しい景観は歓迎すべきものである。だが同時に、この地に積み重ねられてきた歴史や記憶を、いかに次の世代へと繋いでいくかという視点も欠かせない。その両立こそが、“未来の都市”をより有機的で、豊かなものへと導いていれるはずだ。

取材・執筆

編集部・フジイ タカシ

渋谷の記録係。渋谷のカルチャー情報のほか、旬のニュースや話題、日々感じる事を書き綴っていきます。